員会、主要団体−どこをとっても、男性一極集中社会である。
21世紀に向けての政治・行政をめぐるキーワードはいくつかある、地方分権のキーワドの一つは、自己決定権であろう。女の体の自己決定権を、やみくもな中絶禁止で縛ろうとして、アメリカのドール共和党候補は、クリントン大統領に女性票だけみると16ポイントも水をあけられた。女性が自己決定権をもつように、高齢者、障害者も自分らしくどう生きるかを決定する権利がある、それは、地勢的にも規模や経済の点からみても、個性的な自治体が自己決定権を持つのと同じ文脈の上にある。自治体の自己決定権は住民に発することを思えば、住民の中での男女同権は、分権の質を保障する重大な要素である。
もうつのキーワードは、新たな協力・連帯すなわち共生であろう。地域は多様な個性と世代の男女が住む基礎的な場であり、とくに人生の始めと終わり−幼・老の時期は、ほとんど唯一の生活の場である。人間の一生を通しての生活を支え、一人一人が自分らしく生きられる一定の条件を整えることが地方の政治・行政の責務である。今、自治体の政治家にも職員にも必要なのは、長い間の中央集権によって上の方ばかりへ向けられたアンテナを正しく据え直すことだろう。もちろん方角は、住民の側へ向けて、情報を公開・共有し、住民と共に生きる覚悟を固め直すことである。
明治以来の制度疲労をたて直すには、これまでの制度の歪みから、ともすれば声が消されがちだった側に耳を傾けなければならない。これまでの制度を支えてきた日本人の意識につぎの三本椎がある。一つは「男尊女卑」。政策決定の場という視点からみれば、これは厳然として生きている。「うちじゃかあちゃんに財布を握られて」という男性には、国の、自治体の財布と額を比べてみてほしい。もう一つはご存じ「官尊民卑」。規制緩和の声が「民」の側から上がるのは、時代の流れとしてある程度当然である。市民の声は官の声に消されがちであった。そして三番目が「国尊地卑」。今までこのことばがなかったのは不思議なくらいだが、国・中央が支配し、地方が従うという上下・主従の関係だ。それら「卑」の側に置かれた側を名付けてピッピ族という。
21世紀へ向けて、政財官の癒着と腐敗がもはや動きとれないほどに進んだ状況を私たちは目にしている。この混とんの状況を解きほぐし新しい枠組をつくっていくのは、このピッピ族のエネルギーだ。市民の側そして女性地方−この側に立つ男女が、ピッピッ、ピッと笛を吹き鳴らしながら21世紀への道筋を交通整理していく。地方分権はまさにその重要な柱なのだ。

11-002-1.gif

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ